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ペイル・ブルー・ドット

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最近感動した写真を見つけたので共有します。

この感動を誰かに共有したい!!

ペイル・ブルー・ドットとは?

ペイルー・ブルー・ドットとは・・・1990年に60億キロメートルのかなたから撮影された地球の写真のことです。
そう、この写真

地球

なんです!!

ここです


ちっちゃッ!!

拡大すると・・・

かすかに青い気がします・・・

しかし、これ、夜ぼんやりと眺めている星と変わらんやんけ!

そう思いました。

と言うことはいつも見ている星空の中に地球のような生命体がいる星があるのでは?そう思ってしまいました。

この写真は1977年に打ち上げられた(ボイジャー1号)から撮影された写真です。

ボイジャー1号

ボイジャー1号は1977年9月5日に打ち上げられた宇宙探査機です。

同時期に地球から飛び立ったボイジャー2号とともになんと2023年現在も現役で遥か遠くの宇宙から地球と通信を行っています。

wikipediaによると2025年頃までは地球との通信維持が可能なようです。

人類すげぇぇ

カール・セーガンの名言

さてこの写真だけでも衝撃ですが、この写真に付け加えるある人物の名言があります。
これが心にくるんです・・・
ちょっと長いですが下記の言葉です。

この距離から見る地球には特に興味を覚えないかもしれない けれど我々の目にはちがって見えるはずだろう
もう一度このこの点について考えてみてほしいここだ。これがふるさとで私たちがいる。
この点の中で、あなたの愛した全ての人たち 知り合いの全員 今まで耳にしたことのある全ての人たち 人間ならばどこの誰であろうとここに生きてきた。
至福と苦痛の集大成が、何千という自信に満ちた宗教が 全ての文明の創始者と破壊者が 全ての愛をささやき合う若い恋人たち 希望の子供 全ての発明者や探検家 全ての道徳的な教師 全ての腐敗した政治家 全ての偉人や 最高指導者 全ての聖者や罪人が その全ての人類の歴史がここにある。
塵の微片さながら、太陽の光の中に浮遊しながら・・・ 地球は、壮大な宇宙のアリーナの中の小さな舞台だ。このわずかな”点”の瞬きの支配者となった、全ての将軍や皇帝の勝利と栄光の影で、流れ出たおびただしい血の量を考えてみてほしい。
この1ピクセルの角に存在する住民が、まるで見分けのつかぬ別の角に存在する住民に対する、その終わりなき残虐行為を考えてみて欲しい。なぜゆえに」人類は頻繁に誤解し合い、殺戮を羨望し 強烈に憎悪し合うのか 私たちのおごりが、私たちのうぬぼれが、宇宙で特権のある地位にいるというその錯覚が、この色褪せた光に試されている。
この惑星は、大きく暗い宇宙空間のなかにひっそりと存在する、孤独な”しみ”でしかない
こうも広大な宇宙の中でぼんやりとしていては、人類が人類を救うきっかけは外からは来ない。
地球は人類の知るなかで、生命を宿す唯一の世界だ。少なくとも近い将来 人類が地球外へ移住できるその時まで、私たちに行くあてはない。行き着くことはできる。定住はまだ無理だ。否が応でも、しばらくは地球にいるよりない。
天文学という学問は、謙虚に人格を変えられる”教え”だと言われてきた。おそらく とおく離れた小さな故郷を見せつける以上に、人類の愚かさを実感させてくれるものはないだろう。私にはこの点が より親切に互いを思いやり、色褪せた碧い点を守り大事にすべきだと 
そう強調しているように思えてならない。それがたった一つ。我々の知る、ふるさとなのだから。 

  

天文学者 カール・セーガン

 

ささりますよね・・・

なかでも僕が好きなのは 私たちのおごりが、私たちのうぬぼれが、宇宙で特権のある地位にいるという錯覚が、 の部分です。

この小さな地球で人々は数々の殺し合いの歴史を繰り返してきました。

しばらくはたったひとつのふるさとである地球にいなければならないのだから

殺し合いや憎悪し合うことはやめなければならない。

うーむ 確かに・・・

まとめ

この写真を眺めていると自分という存在がいかにちっぽけなものなのかと思います。

僕は落ち込んだときや何かに悩んでいるときはこの写真とカール・セーガンの名言を読むようにしています。

なんか気分が晴れ晴れするというか、元気がでるんですよね!

天文学という学問は、謙虚に人格を変えられる”教え”だと言われてきた。おそらく とおく離れた小さな故郷を見せつける以上に、人類の愚かさを実感させてくれるものはないだろう。

我々人類は今しばらく、少なくともあと50年か100年ぐらい?かはこの地球で暮らしていかなければならないでしょう。なので

私にはこの点が より親切に互いを思いやり、色褪せた碧い点を守り大事にすべきだと 
そう強調しているように思えてならない。それがたった一つ。我々の知る、ふるさとなのだから。 

この名言を胸に生きてきましょう。

じゃあまた!